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流派
日置流印西派(へきりゅういんさいは)の教えの元に弓を引いています。
東医体では我が校のみが斜面打ち起こし。西医体では何校か斜面の弓道部があるようです。
その昔、戦場で武者達に用いられた歩射の派生であり、武射型とも呼ばれます。
将軍家・徳川家弓術に用いられた射法の派生でもあります。
中庸
「庸中」と部旗に書かれていますが、右から読んで「ちゅうよう」です。 以下、広辞苑第五版より引用。
【中庸】
偏らず常に変わらない事。不偏不倚で過不及のないこと。中正の道。過大と過小との両極の
正しい中間を知見によって定めることで、その結果、徳として卓越する。例えば勇気は
怯懦と粗暴との中間であり、かつ質的に異なった徳の次元に達する。
中貫久
「真善美」という文句をよく見かけますが、日置流印西派の掲げ文句は「中貫久」です。意味は、
中:目標物へ的中させること。貫:鉄兜をも貫く貫徹力を生み出すこと。久:それらを長く続けられること。
また、類語に「飛中貫」という言葉もあります。
道場
我が校には道場が無いので、平和の森公園弓道場にて、毎週 火・木、隔週 土に
練習を行っています。
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以下、参考資料です。
弓道
射法訓(しゃほうくん)
射法は、弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。
心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し、
妻手三分の一弓を引き、而して心を納む是和合なり。
然る後胸の中筋に従い、宜しく左右に分かるる如くこれを離つべし。
書に曰く鉄石相剋して火の出ずる事急なり。
即ち金体白色、西半月の位なり。
禮記射義(らいきしゃぎ)
射は進退周還必ず礼に中り、内志正しく、外体直くして、
然る後に弓矢を持ること審固なり。弓矢を持ること審固にして、
然る後に以って中ると言うべし。これ以って徳行を観るべし。
射は仁の道なり。射は正しきを己に求む。己正しくして而して後発す。
発して中らざるときは、即ち己に勝つものを怨みず。
反ってこれを己に求むるのみ。
日置流
日置弾正政次(へきだんじょうまさつぐ・1440〜1500くらい)
日置流の創設者。
数々の古流弓術の長所をまとめ、日置流を創設。「礼は小笠原、射は日置にあり。」といわれるがご
とく、中貫久に秀でていた。戦場を駆け抜けた日置弾正は日置流を以って、当時礼にばかり重きを置
いていた弓道界に警鐘を鳴らしたとされる。後に剃髪し、瑠璃光坊威徳と名を改めた。ちなみに「日置
流印西派」の流祖は吉田源八郎重氏。
故・浦上 榮 先生(1882〜1971)
範士十段。異なる流派も統括し、弓道連盟が弓道教本を作る際に、日置流印西派の代表として招か
れた。
本来の日置流印西派(日置當流 へきとうりゅう)の射法には存在しない「三分の二」という状態を
考案した浦上直置氏の養子。また、射法八節に「残身」を組み込んだのは実はこの榮氏。
他、弓道に関する本を出版するなど、弓道界に残した功績は大きい。
故・稲垣 源四郎 先生(1910〜1995)
範士九段。早稲田大学理工学部卒。浦上先生より日置當流免許皆伝を受ける。
日置當流射術教本を出版、海外ではドイツをはじめ、ヨーロッパに弓道を広めるなど、
その功績は日本だけに留まらない。
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大政奉還(1867)直前の射手の写真です。 |
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